仕事をする中で失敗をしてしまった! ……これは、だれしも経験があるところと思います。 そのとき、会社から「失敗して発生させた損害を払え」といわれたら、支払わなければならないのでしょうか。

結論を先に言えば、たいていの場合、損害の全額に対して、労働者が支払う必要がある金額、割合は相当カットできます。それどころか、全然支払わなくてもいい、ということもあります。

思いがけない負債を背負い込まないためには、なぜそうなるのか?を知っておき、自信をもって頑張ることが大切です。今回はこの点について語ります。

これについて、2023年2月14日にYoutubeでお話をした動画をご紹介します。

また、「動画を見るより、文字で読むほうが早くて楽」という方のために、全文の書き起こしを掲載します。

会社から「損害賠償しろ」と言われたら

こんにちは。弁護士の仲松大樹です。今日の動画では「労働者の損害賠償責任」というところをお話ししていきます。

労働者の損害賠償責任というのはどういう話かということなんですが、会社で失敗をした後、その結果、損害賠償をしろというふうに会社から言われて困っているという相談があります。この手の相談は結構多いんですが、大抵の場合、労働者が支払う必要がある金額や割合は相当カットできます。それどころか、全然支払わなくてもいいということもあります。今日はこの辺りをお話ししたいと思います。

会社から「損害賠償しろ」といわれる場合とは

会社からお金を払えというふうに言われるパターンとしては、おおよそこういったところが考えられるんじゃないかというところでパターンを出しておきますね。

まず1つ目(註:図の「パターンA」)ですが、会社と自分以外に被害者がいる場合です。仕事上の失敗でお客さんを、あるいは関係のない人、あるいはその人の持ち物を傷つけたという場合ですね。

具体的には、トラックの運転手さんが事故をしたような。その損害賠償を会社が払って、会社が払った額を改めて支払うというふうに働く人の側に求められているという場合です。この場合、会社は「被害者にお金を払うことになったのはあなたのせいだから、会社が立て替えただけであると。だから立て替え分を支払ってください」と言ってくることになります。

この類型の別のパターンとして、被害者から働く人の側に請求が来て払った。まず自分で払ったという場合ですね。その後、じゃあ逆に会社に対して、「いや、これは仕事のために必要になって払ったものなんだから、会社もいくらか持ってくださいよ」と請求できるのかという問題もあります。今回はちょっとこれには触れないですが、また別の機会にお話をしようと思います。

それからもう一つのパターン(註:図の「パターンB」)として、会社と自分以外には当事者、関係者がいないという場合もありますね。仕事上の失敗で会社の持ち物を壊したとか、あるいは儲けをフイにした、経費を余計にかけてしまった。そのことによる損害が「支払え」というふうに言われている場合です。具体的には、飲食店勤務でお皿を割ったとか、注文を間違えて取ったとか、そういった場合でしょうかね。

この場合には使用者、会社は「とにかくあなたのせいで会社は損をしたんだから、損害賠償をしてください」と言ってくることになります。で、こういうことを言われた時に、そのままおとなしく損害の全額を支払わないといけないのかというご相談ですね。

基本になる考え方―「公平」という正義

結論も先に言ってしまうと、こういう場合、損害の全額を支払わなければならないということになることは滅多にありません。半分、あるいは1/4、それ以下で済むという形になっていくことが多いです。ちょっとした不注意でというような場合には、全然支払わなくてもいいということになる場合もあります。なんでそうなるのかというところ、今回の動画ではこの辺りをお話ししていきます。

詰めて実は細かい議論をしていくと、この問題については複雑なお話があります。いろんな説明の仕方があるし、どの説明を採用するかで実は結論に差が出る可能性というものもあります。ですから裁判ではそこが争点になるということですね。

ただ、この動画ではざっくりと私の立場で、あるいは私が「裁判所はこう考えてるはずだ」と考えているところでまとめて説明をしますので、その点は少し注意をお願い いたします。

ざっくりとまとめると、働く中で労働者が失敗をした。そのことによって使用者、経営者、会社が損をした。こういう関係の中で、じゃあ損を全部労働者に抱えさせるというのが、言ってみれば正義にかなうのかということですね。そうではなくて、状況に鑑みた分担と内部的な分担ということをしていくのが公平というものじゃないか。こういう考え方です。

これは特にこちら側、Aパターンの方で考えると分かりやすいんじゃないかと思うんですけれども。ここに線を引くと、

こちら、お客さんの側と会社側の、働く人もお客さんから見れば会社側の人です。お客さん側と会社側というふうに分けた時に、こちら、会社と働く人というのはお客さんから見れば一体的な関係にあるわけです。いちいち別人だということを考えないということですよね。それでお客さんとしては、「こちら側―会社側のせいで損が出てるんだから、ちゃんとこの全体の中から損害を払ってくださいよ」と。そこが払われれば、文句はあるかもしれないんだけれども、法的には文句はないよという、そういう関係になってくる。その上で、ただしじゃあこの内部側ですね。会社と働く人との関係においては内部的な分担を考えていかないと公平とは言えない場合があるんじゃないかということですね。

ここをもう少し今日集めて説明をします。なぜ分担を考えないと公平とは言えないのか。不正義だ、正義にかなうとは言えないということになるのかというところですね。

人間は失敗をする動物です

理由の一つ目は、人間は失敗をする動物なんだということです。会社は失敗もする動物である人間を使ってお金儲けしているんだから、失敗しなかった場合のメリットだけじゃなくて、失敗しちゃった場合のデメリットも負担するべきでしょということですね。

この「人間は失敗もする動物なんだ」ということについて、よく言われる……よく言われるというのは、この種が、この種のことが起きた時に会社側から働く人に対してこういうふうに言われて責められるということですが、「プロ意識があれば失敗しないでしょ」というふうに言われることがあります。

「失敗したのは労働者の側にプロ意識がなかったからだ。あなたにプロ意識がなかったからだ。だからその責任を取って弁償しなさい」というふうに詰められる。今、店にそうやって言われている方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。これを言われて悩んじゃうのは、むしろ真面目で誠実で、普段失敗しないように気をつけている人ほど悩んじゃうんじゃないかというふうに思いますが、そういう人に向けて私としてはこう言いたいというところがあります。

つまり、冷静になって考えてみてくださいということです。少し客観的になってというところですね。「プロ意識があれば失敗しない」という話は、自分にプロ意識がなかったんだろうと思うと悩んじゃうかもしれないけど、一般論として考えてそんなことないですよね。プロ野球選手、本当にオールスターに選ばれるようなスーパースターだってエラーすることはあるでしょと。将棋のプロ棋士、僕なんかからするともう天才としか思えないような人たちですけれども、そのプロ棋士だって、二歩とか二手指しとか、うっかりの見落としで負けるということもあるわけです。

つまり、人間どんなに気をつけていても失敗をする時には失敗をする。これをゼロにすることができないんですよね。

もう少し、プロ意識が足りないという内容を突っ込んで……つまりもう少しもっともらしく責めるという時には、具体的な失敗に細かく言及するということもありえますね。

つまり、例えば飲食店で配膳中に床が濡れていて、それで足を滑らしてお皿を通して割っちゃったというような場合です。この時に単に「プロ意識が足りないだけだ」という話からもう一歩踏み込んで、「いや、ちょっと歩く先の床を見ておけば良かったじゃないですか。床が濡れているのはわかるでしょ。そうしたら、その上を歩いたら滑るかもしれないということはすぐわかったはずじゃないですか。そこを避けて歩いたら良かったじゃないですか。あるいは、一旦キッチンに戻ってお皿を置いて、モップを持って戻ってきたら良かったじゃないですか。こんなの不可抗力でもなんでもないですよ。単に周りを見て仕事をするという当然のことができてなかったですよ。はい、払ってください。」。こういうふうに責めてくるわけですよね。

こういうふうに具体的に問い詰められると、「やっぱり確かに床を見ておけばよかったな」って、「普段滑らないからうっかりしちゃったんだよな」っていうふうに、そう思っちゃいませんか。ただ、これについてはこういった視点を持ってほしいんですね。

つまり、事が起きた後に原因を探して人を責め立てるということは実はそんなに難しいことではないということです。いわゆる後知恵バイアスというふうに言うんですけれども、問題が起きたということ、事故が起きたということを知った上で、知った上で「今になってみれば」「ここに気をつけるべきだった」「ここは重要だったんだ」というポイントを洗い出すというのは、現に問題が起きたまさにその時、判断や行動を迫られていた時にこれをしたら事故が起きるかもしれないと思うのと同じようなものなのかというと、やっぱり同じではない。

人間は物を考えたり行動を起こしたりする、何か判断をする場面では考えるべきことがいっぱいあって、それを考えてるわけです。例えば先ほどの例で言うと、配膳するお皿は何枚、どれくらいあったのか。その当時お店のお客さんの入りはどうだったのか。今配膳する先のお客さんはどれぐらい待っていて、急いで配膳しなきゃいけないのか、そうでもないのか。店の混み具合ですね。通路はどういう状態なのか。床は普段から滑りやすいものなのか滑りにくいものなのか。その他いろいろ。

あまり明確に意識はしていないかもしれませんが、そういったすごくたくさんのことを頭の中で考えてリスク配分をして行動している、仕事をしているわけです。その中で、大抵は転ぶようなことはないんだ。ただこの時はたまたま何かの具合で床で滑ってしまった。そういった事情があった時に、ただこの時に転びました。この状況だけを踏まえて「床を見てれば良かったじゃないか」と責め立てるというのは公平という態度ではないのではないでしょう。そういう、何というか、公平ではない立場からやたらと人を責め立てるというのは正しいことだとは思えないということですね。

もちろんですよ、もちろん、そういった検討をすることがいけないと言ってるわけではありません。そういった検討を繰り返していく中で、どういった場面では失敗や事故が起きやすいのかということの事例を集積していくことで、失敗を減らしていくということは大切ですから。

ただ、僕が言っているのは、いわゆる「プロ意識があれば失敗しないでしょ。あなたの失敗はプロ意識がなかったからで、あなたが悪いんだ」という指摘は、どうもやっぱり正しくはないぞということです。なんですが、真面目で誠実で普段失敗しないように気をつけている方、そういう方ほどこれを言われて悩んでしまうんですね。それはすごくよくわかるんですけれども、そこで立ち止まってしまわないで、これからするお話を聞いていただいた上で、ちょっと頑張ってみてくださいということです。

ちょっと話がそれてしまいましたが、戻しますね。人間というのは失敗もする動物なんだというところです。ここに話を戻します。そうである以上、人間が失敗もする動物である以上、会社が人を雇って仕事をさせる時にはその仕事に失敗が入り込む可能性なんていうのは当然わかっていますよね。

雇った人間が失敗をすることで損をする。その可能性を絶対に排除しよう、雇った人間が失敗しない、絶対に失敗しないようにしようと思えば、そもそも人を雇わないか、雇った上で働かせないという方法しかないんです。言ってしまえば、人を雇って仕事をさせている、そこのあがりで金を儲けるという仕組みを取った時点で、雇った人が何か失敗をして損が出るというリスクも常にあるわけです。そのリスクが現実にならないで済むのか、何かの加減で現実化してしまうのかということは一種の賭けという側面もあるわけです。

人を雇って働かせる、この仕事をしろと命じるというのは、雇うことで、仕事を命じることで、儲かるのか損をしないのか、その賭けにベットする、掛け金を積むという側面があるわけです。

この点についてちょっと図式的に振り返ってみましょうか。人を雇うことで儲けるというのはこういうことです。

ある人、この人です。この人がある商売を考えたとしましょう。この商売自体はブルーオーシャンというか、非常にマーケットが広くて、手広くこれから発展させていくということが考えられる。なんだけれども、問題は人手です。この人一人で仕事をやっていると、働ける時間にも限りがあるし、扱える仕事の量、さばける仕事の量で限界というものがあるので、目いっぱい働いて100万円売り上げるのが精一杯であるという、そういう状態を考えてみましょう。ここでもっと儲けようとすると、人を雇うということが考えられるわけです。

それで、この人、一人雇いましたよと。そうしたらその人が同じように100万円売り上げてくれると。ただし、給料その他人件費でこの100万円の目標を上げること以外に30万円の経費がかかる。そういうふうにして1人雇ったら、だいたい70万円新たに儲けが期待できる。そういう構造が仕事上あるというふうに考えてみましょう。そうすると、まだ商売を広げていこうというふうに考えれば、もう一人雇ってプラス70万円で240万円。さらにもう1人雇ってプラス70万円に310万円の儲けということを考えられるわけです。

もちろん、これは図式的な話ですよ。現実にはこんな簡単な話ではなくて、本気で商売やってる人には怒られそうな話なんですが、分かりやすくするためにこういう話をしているというところを理解してください。

ただし、分かりやすくするためにというふうに言いましたが、人を雇うということは必ずその人に払う賃金、その人にかかる人件費よりもたくさん儲けが出るはずだという見込みを立ててその人を雇うことを決めているはずです。人を雇って30万円しか儲けが出ないのに、40万円の人件費払う人は、商売やらないですからね。ただ、実際にその人件費を超えるだけの儲けが出るかどうかという、その見込みの部分です。見込みの部分は、実際に働かせてみるまでわからない。そこが賭けだということです。

さらに、働かせる中でひょっとすると何か失敗をするかもしれない。失敗をして、かえって損を作ってくるかもしれない。そこも賭けなわけです。今の例で言うと、この人が100万円儲けてくれると思ったんだけれども、実は50万円の儲けであった。その時は70万円儲かるというふうに見込んでいたのに、20万円の儲けで止まっちゃったということも、あるいは逆に10万円しか売り上げ作れなかったということになると、人件費30万円払ってますので20万円むしろ損しちゃったということになるわけですよね。

で、さらにこの人がまあ1ヶ月目は100万円ちゃんと儲けてくれたんだけど、2ヶ月目はどえらい失敗をやらかして200万円損を作ってきちゃった。そうすると人件費30万円と合わせて230万円の損をかぶることになっちゃった。そういうことだって、実際に働かせてみたら生じるかもしれないということで、そういう意味で、その商売で人を雇うということについては、非常にリスクというものもあるということですね。

ただ、そこの賭け、リスクを取るからこそ、この人、経営者というのは大きく儲けた時にそれを自分のものにすることができるということです。例えば先ほどの例で、この人、雇われの人は100万円を売り上げたとしても200万円売り上げたとしても、基本的には30万円の範囲内の給料しかもらえない。ただし、10万円しか売り上げられなくても、20万円しか売り上げられなくても、人件費30万円の中の給料はもらえそういう意味で安定というものがある。一方でこの人は、ここが失敗するかどうかということによってリスクが非常にあるんだけれども、儲かった時にはドカンとお金がもらえる。

そういう構造が、それは今のようなこの人がリスクを取る判断をしたからだという点において正当化されるということですよね。つまり、その賭けに乗るかどうかというのは使用者、この人が決めたんでしょうということです。そうすると、自分でその賭けに乗ることを決めたのであれば、その賭けに負けた時に責任を取る必要もあるよねということです。

賭けに勝った時は自分の手柄、儲け。負けたら他人のせい、他人払い。それは適当じゃない。それは公平というものではないよということです。これが理由の一つ目です。

失敗による損害の発生を防ぐことができるのは使用者です

理由の2つ目です。人間は失敗をする動物なんだというお話をしました。ですから、人を雇って仕事をさせる。雇った人が一定程度失敗をする可能性、それによって会社が損する可能性があるということは今お話ししたとおりのことで、それは雇う前からわかっているはずですよね。そうすると、この損を被らないようにしようと思ったら会社、この人はどういうことを考えておいたらいいかということです。

最初から人を雇わない。雇った上で働かせないっていうのは事業規模が小さければありえますけれども、大きく儲けることはできませんので、事業を大きくしていく、大きく儲けてやろう、そういうふうに考えれば、人を雇って働かせるという選択肢は外せません。じゃあどうしたらいいのかということですが、これはいくつか考えられることがあります。

まずそもそも失敗が起きないような、あるいは起きにくいような仕事の仕方、仕事の指示の仕方というものを考えるということも、これがまず考えられますね。例えば人間は単調な作業、単純で単調な作業をずっと繰り返していると注意が散漫になって失敗しやすい。これは経験的にも納得できます。だから例えば業務が過剰に単調にならないようにするとかいうことも対策として十分に考えられるわけです。

つまり、まず失敗が起きるような状況に追い込まないように考えるということですよね。まあ単純化というのはある程度避けられないにしても、それこそ長時間労働がずっと続いていて、眠気に押しつぶされそうになってる、ミスをしてしまうだとか、あるいはパワハラ体質の職場で周りに相談することができなくって、もう自分の判断でやっちゃったら失敗するとか、そういうことを防ぐような意味で、長時間労働を避ける、あるいは職場の雰囲気を良くして相談しやすい環境を作っておく。働く人にストレスが生じにくい環境を作っておくということも、当然立派な対策。というより、一番最初に考えられるべき対策になってくるわけです。

ただ、業務そのものが単調になるということはどうしても避けられない。事業の合理化という中で、そういったものはどうしたって避けられないということは当然あり得ますよね。で、そこで次の対策です。

次の対策。1人の労働者、ある特定の働く人について、職場にたくさん労働者がいる中でランダムに誰かにミスが起きる、失敗が起きるということはあり得ることは仕方がないこととしてあらかじめ覚悟した上で、その人のその失敗が損害につながりにくい体制を作るということも考えられます。

例えば、担当者を2人置いてダブルチェックするとか、あるいは生産現場で言うと、ポカヨケみたいな仕組みを作って、ある人が失敗をしても別の人が、あるいは機械的なシステムがその失敗を是正することができるようにしておく。これが次の対策として考えられるわけです。

さらにその先の対策。その先の対策もあります。それでも失敗が是正できなくて損害が生じたと。その時に会社が現に支出しなければならない金額を小さくすることによってダメージを和らげるということも。

例えば先ほどの食器を割っちゃったみたいな事故を考えるときに、あらかじめ食器は安物にしておく、あるいはそもそも使い捨ての食器を使うということだって立派な対策なわけです。

30万円の皿を割ってしまえば30万円の損害ですが、100均で買ってきた皿だったら100円ですからね、割れたって。それから、どうしても高い食器を使わなければならないのであれば保険をかけておくと。保険料はかかるけれども、例えば月々の保険料でそれまでに払った分が2万か3万円だった。それで30万円が返ってくるんだったらいいよね。こういうことも考えられる。こういった対策が考えられるわけです。

ただ、これをやろうとするとお金がかかったり、あるいはサービスの質に影響が出たりするわけです。ダブルチェックできるだけ人を雇えば人件費がかかるし、保険に入れば保険料がかかります。かといって高級料亭を経営しているのに、まさかプラスチックの使い捨てのトレイで食事を出すというわけにはいかないですからね。僕なんか高級料亭なんか行けないんですけれども、行けるようになりたいもんですが、高級料亭に頑張ってお金を作っていって、プラスチックのトレイで鯛の活け造りが出てきたら、やっぱりがっかりして、もう行かないということになるでしょうからね。

まあ、ここら辺もバランスをどうやって取るというのが使用者の悩みどころだし、経営センスが試されるところ、腕の見せ所というところですよね。失敗が起きる可能性ってどれくらいなんだろう。起きた時に出る損害ってどれくらいなんだろう。それを比べた時にさっきあげたような対策を取るコストというのが釣り合うんだろうか。これをシビアに考えて決定するのは使用者の義務だし、特権でもあるわけです。使用者の側にはこういった手立てを講じることができるというアドバンテージがあるわけですね。

で、これに比べて私たち雇われの側ができますか?これはできますか?ということです。できないんですよね。そもそも仕事の中身、雇われの立場では自分で決定できないですからね。「なんかこの仕事をやれって命令されたんだけど、なんか僕これ向いてない気がしますからやめときますわ。あの人がやってるあっちの仕事の方が僕に向いてる気がするんで、多分あっちの方が心配なくやれると思うんですよ。そっちやらせてください」と言えたらいいけど、言えないですよね。それでいかんともしがたく、指示された仕事をすることになるわけですが、その仕事について会社がダブルチェックの体制を取ってくれない、保険に入ってくれないとか、やたらと高い皿を使うことに決めちゃった。そうであっても、これに文句を言うことはできないわけですね。

そういう中で、失敗をしちゃったと。そうすると、失敗しちゃったのはそれは自分だけれども、会社が前提としてもっと配慮してくれていれば、そもそも損害は出なかったはずであるということがあるなら、それは言いたいですよ。うっかりお皿を落として割っちゃった。でも「滑らしたのが悪い」と言われるかもしれないけれども、これ使い捨てのプラカップだったら何も問題なかったはずじゃないですか。あるいは「100万円の皿だぞ」と言われるけれども、「会社が保険かけてくれてたら、会社は100万円損しなかったはずじゃないですか」そういうことはやっぱり言いたいですよね。

それをしなかったのは、つまり会社が「損をした、損をした」と言っているその金額がこんなに大きくなっている原因の一つは、つまり会社がそこへの対策を怠ったという結果でもあるわけです。そういった、会社にも原因があると言えるのに、その部分を見ていかないというのは公平とは言えないんじゃないですか、ということです。

というようなことがあって、なので現在多くの学説、研究者の見解ですね、それから裁判所の考え方として、労働者が仕事をする中で何か失敗をしてしまった、その結果、使用者、経営者、会社に損害が出たとしても、労働者にその損害の全責任を負わせるというのは、大抵の場合適当ではない。そういうふうに考えています。

具体的な判断・裁判所の判断

で、気になるのは、じゃあ具体的にどれだけ払う必要あるのかということについてですが、これは使用者側の事情、つまりそもそもどんな事業しているんだ、どういうふうに仕事を命じていたんだ、普段の働かせ方はどうだったのか、失敗があったとしても損害につながらないようにするための対策というのは何か取っていたのか、そういったことを一方で考えた上で、もう片方で労働者側の事情、つまりそもそもなんで、主観的にどういうつもりでその失敗をしたんだとか、客観的にどういう手順というか仕事の仕方でその失敗をしたんだとか、あるいは会社内ではどういう立場にあったんだとかいうことをもう一方で考えて、このバランスで負担割合、金額というのを決めていくのが基本的な裁判所の考え方だと思います。

最高裁の昭和51年7月8日の判断で茨城石炭商事事件というものがあります。

これが現在も裁判所においては先例、リーディングケースだというふうに思われるところですけれども、タンクローリーの運転中に過失で追突事故を起こした運転手さんに対して会社が修理費等の損害賠償請求をした事案です。この事案において裁判所は、労働者、運転者さんですね、の、勤務成績が普通以上であること、会社側、使用者が対物賠責任保険や車両保険に加入していなかったことなどを考慮して、労働者の支払い義務を損害額の25%、1/4までに限定するという判断をしました。そういう事案ですね。で、基本的に今、労働者と使用者との間での損害賠償請求については、この最高裁判所の判断を基本にして割合を考えていくということになるでしょう。

まあ一方でね、軽い過失、軽いうっかりだと、そういう失敗の場合は全然払わなくてもいい。そう考える見解もありますし、それに基づいて判断している裁判例もいくつもあります。私も同様の見解ですね。

一方でと今言っちゃいましたが、一方でではないですね。同じ考え方、同じ考えの枠組みの中でということです。

ただ、じゃあ実際にある失敗、ある損害賠償請求について具体的に何パーセント、いくらというふうに判断するのかというと、この判断は結構大変です。裁判所の判断例もたくさんあるところで、一律にこうだという基準があるものでもありません。たまにこの最高裁判決を持ってきて「25%だったら請求できるんだ」という主張に触れることもありますが、そうとも限らないですね。先ほどお話をしたように、全く払わなくていいというふうになることもありますし、25%よりももっと多く払いなさいという判断になるということもあります。

今日の動画はここだけ!の結論

ので、今日はもういろいろ話しました。最後ここだけ覚えてください。

結論としては、使用者から「払え」と言われてもすぐには「うん」と言わない。これだけです。

すぐに「うん」と言わずに、弁護士に相談をしてください。弁護士は法律的に、法的に支払う義務があると思われるのかどうか、あるとしたらどれくらいの割合まではやむを得ないのかについて、これまでの裁判所の判断を踏まえてアドバイスができます。その結果に基づいて会社と交渉すること、それから最終的には裁判で負担割合を争うということもできます。

それから、私の動画では度々というか、何度もこれまで行ってきているところですけれども、労働組合に相談をするということも考えてください。何度もお話を出していますが、会社の労働組合が存在しない、あるいは会社の労働組合がなかなか力になってくれないという場合であっても、今は会社外で一人で入れる労働組合、ユニオンというものがありますからね。

で、それで労働組合から「今回のこの損害というのは会社にも責任があることじゃないか。俺たちの仲間にふっかけるようなことをするな」とか、「注意していても失敗は起きるじゃないか。いちいち損害賠償請求されるようでは安心して働けないので、安心して働くことができるような職場環境を作りましょうよ。そのために一緒に考えましょうよ」と。そういった形で団体交渉を求めていくということが考えられます。その中で解決を目指していくということが非常に大切です。

繰り返しになりますが、人間は失敗をする動物なんです。で、最初にお話をしたように、会社から失敗を責められた場合、「プロ意識がないからの失敗だ」と責められた場合、真面目に仕事をしている人、失敗しないように気をつけようとしている人、そういういわゆる「いい人」ほど失敗してしまった自分を責めて会社の言い分を受け入れないといけないような気がしてしまう。

人間性としては、私はその気持ちは立派だと思いますし、そういった方とお友達でいたいと思いますが、法的な目で見ればそれはやはり必ずしも正しいことではないということですね。今日の動画は、なんというか、実のところそういった真面目な方に向けて、思い詰めないでくださいねという意味で作っているところもありますので、ちょっとそういうところを受け止めていただければというふうに思うところです。

そういう理屈を、理屈で考えたとしても、例えば最初にお話をしたような、こういうパターンですよね。こういうパターンの場合で会社から「いや、いろいろ理屈は言うけれども、お客さんに損害が出てるでしょ。お客さんに迷惑をかけるようなことがあってはならないので、これは取り返しがつかないんだ。ミスをする動物なんだなんていう言い訳はただの言い訳だ」というふうに言われたりすることもあるんですけれども、ただこの場合関係ないお話ですね。

最初にお話ししたように、あくまでお客さんに対してはちゃんと賠償しなきゃいけないっていうことを前提にした上で、会社と従業員、ここに線を引いた上での会社と従業員の関係の話をしているんですけれども、なかなかそこのところで話が噛み合わなくて疲れるなということもあるんですが、まあまあ、そういう噛み合わないけども、時にはあったりして、現場で特に自分が失敗をしてしまったと考えている方には辛いところだと思いますけれども、気持ちを強く持って、弁護士や労働組合に相談をしてください。

その後、具体的にどういう形で会社と争っていくことになるのかというお話は、すでにだいぶ長くなってしまっていますので、今日はここまでということにして、またいずれ別の動画で続きのお話ができればというふうに考えています。

ということで、今日の動画はここまでとしてお別れをしようと思います。

最後に宣伝ですが、私は岐阜県瑞穂市でみずほの町法律事務所という事務所で仕事をしています。弁護士は私と私の父の2名体制です。私は2010年から、私の父は1986年から弁護士として仕事をしています。労働事件はもちろん、交通事故や離婚、相続や債権回収等々幅広く手がけていますので、お困りの際にはお気軽にご相談ください。労働事件については使用者の方からのご相談は基本的に受け付けていませんので、ご了承くださいますようお願いいたします。

それでは今回も最後までご覧いただいてありがとうございました。さようなら。